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第2部・シンポジウム

 

シンポジスト紹介

・上山和樹(ひきこもり経験者)

・長谷川俊雄(愛知県立大学文学部福祉学科助教授、ケースワーカー)

・もも(仮名・ひきこもり経験者)

・関口宏(文庫こころとからだの相談室、精神科医)

 

たんなる支援者としてではなく、ここに出てきているつもりです。私自身高校を卒業して六年間ほど半ひきこもり的な生活をして参りました。その後まぐれで、医者になりまして、まあ、十五年ほど精神科医として、地方の病院で勤務してきました。

そして去年の4月に、横浜の金沢文庫というところで、カウンセリング専門の相談機関をはじめました。15年間の精神科医としての病院での勤務生活にちょっと疲れて、半分隠居しようというような気持ちではじめたところもあります。

で、案の定暇でして、この一年間はあちこちにちょっと面白い方がいらっしゃるということで、神奈川県内の親の会とかですね、フリースペースなどにおじゃましたりしました。そういうご縁でヒッキーネットという、ひきこもりを自分たちの問題として考えていこうというような仲間たちと出会うことができました。

そういう意味では、一年間暇だったのがありがたかったというか、大事でした。今日は慣れない司会をつとめさせていただきますが、ちょっとどうなるか自分でも心配なんですが、私の名前をみていただくと、同じ関口宏でも、司会のほうは素人なもんで、多少のしくじりは大目にみてください。よろしくお願いします。

ではさっそく、今日のシンポジストのご紹介をさせていただきます。まず、第一部で講演をしてくださった上山和樹さんにひきつづきシンポジウムのほうも参加していただきます。

公演のほうありがとうございました。講演を聞いていまして、本当にわかりやすいお話っていうのかな、非常にひきこもりの体験というのは言葉にしづらい、言語化しにくい体験だと思いますが、上山さんはそれを非常にわかりやすい言葉で私たちに伝えてくれる、そういう稀有な才能というか能力のある方だと思います。ほんとに貴重な存在だと思います。

上山さん、今日本は全部完売したそうですが、もっと持ってくればよかったですね。

上山

ありがとうございます。

関口

その、去年の12月に本をだされてからはいろいろと大変なことがあったということをうかがっていますが…。

上山

はい。そうですね。まず、書く作業、本をつくる作業自体で、なんか恐ろしく自分でも驚くほど、消耗してしまったんですね。なんていうか、鶴の恩返しじゃないんですけど、自分の羽をむしりながら活動するみたいなところがあって、でまあ、親に内緒だったということで、経済的にも立ち行かないなあ、とかですね。

親子っていうタテの関係の間に入って、間をとるみたいなことを、お金をいただく形でやってきたわけですけども、それに関連する形で本を出させていただいて、一段落するところで、一回ほんとに寝込んじゃったわけです。

その「上下関係に入っていく」みたいな活動に、自分自身で疑問符が出てきたというか。その、さきほどもヨコの関係っていうことを強調しましたけれども、やっぱり、考え方が変わる前に、まさしくもう、まず体がダメージを受けてしまって、ほんとに食事もとれないし夜も眠れないし、消耗しきってしまって。ということはやっぱり無理があったんだろうな、と思いまして、こういうやり方じゃだめだな、というふうに思ったんですけども。だからあらためて別のやり方を模索しなければいけないなというふうに、僕は強く感じています。

関口

中には、上山さんがご本をお書きになって、皆さんの前で話すことを売名行為だというふうに中傷する方もいらっしゃったり、そういう心無い人たちもいらっしゃったというふうにお話をうかがっていますけども、今日も本当にそうなんですが、自分のプライバシーをさらして人前で発言することの大変さっていうのを、ぜひ、みなさんにも理解していただきたいと思います。

そういう心無い人たちが、やはりどうしてもいるみたいですが、それによってだいぶ上山さん自身が傷つけられてきたというようなことをうかがってます。でも今日の会場にはそういう方は来ていないと思いますので、ぜひ安心して、横浜の人にはそういう意地悪な人はいないと思いますので…。では、今日はどうぞよろしくおねがいします。

上山

よろしくおねがいします。

関口

次のゲストはわたしの隣にいらっしゃる長谷川俊夫さんです。長谷川さんは、長年にわたって保健所とか精神科のクリニックなどで、ケースワーカーとして活躍されてきました。現在はフリーになりまして、もうベテランのケースワーカーとして、日本各地の支援者の養成プログラムや、講演会などの講師としても飛び回って、非常に忙しくやられています。今はちょっと休暇中ということですが…。今日はお忙しいところどうもありがとうございます。聞くところによりますと、長谷川さんはひきこもりの家族相談をかなり前から行っているとうかがっていますけど、最初にひきこもりの人たちの相談を受けるようになったのは、最初にそういう人たちと出会いになったというか、そういうのはいつごろからだったんでしょうか。

長谷川

そうですね、私もケースワーカー、社会福祉職ですけども、今年で二十一年目なんですね。で、初期には、15、6年前には、福祉事務所で仕事をしましたけれど、家庭訪問をすると、ちょっと語弊があるのかもしれませんけれども、どうも、病気でもなさそうだ、あるいはあるいは障害をお持ちでもなのにどうしてという相談を、15,6年くらい前から受けておりました。

関口

そういう80年代半ばからみたいな形ですと、もしかすると、長谷川さんっていうのは、ひきこもりの家族相談を日本でも草分けのころからずっとやっていたという、そういうご経験がある方だと思いますけれど…。あと長谷川さんは、ひきこもりのケースってことだけではなくて、さまざまな方の相談をされているというふうにうかがったんですけども。主にどのような方のご相談、家族相談が多いんでしょうか。

長谷川

そうですね、私は以前、稲田市の職員でしたから…。なんていえばいいんでしょうかね。私の20年くらいの援助経験でいうと。やっぱりアディクション(注:依存症)の問題ですよね。アルコール依存症だとか、そういう。あと在日外国人。特に、難民とか中国帰国者の方の援助だとか。気がついてみると手前みそになるかもしれないけれど、どうしていいかわからないとか、援助方法がまだ確立されていないとか、そういう人たちにもっぱら関心をもって取り組んできたっていう経験がありますけども…。

関口

そういう意味では同じ援助者でもですね。もしかすると、精神科医とか、カウンセラーみたいなある種、病院にいて誰かが来るのを待っている、そういうお客さん商売よりも、はるかに、時代的にも、あと場所的にでも、一番こう、困っている方の最前線でやられてこられたのかな、というね。

長谷川

ちょっとヨイショしすぎてますね。

関口

いえいえ。それでは、長谷川さん。今の上山さんの講演をお聞きになって、なにかお感じになったこと、あるいは長谷川さんが、そういう生きにくさをもった人たちと関わってきた中で、特にひきこもりの人たちはどういう位置にいるのか、みたいなことを、何かありましたらお話し願えませんでしょうか。

長谷川

ええ、非常に緊張してます。ここに大勢の方がいらっしゃって…。まず、上山さん、講演どうもありがとうございました。上山さんのお話は、とてもコンパクトに、こう要所要所、ほんとに押さえながらお話いただいたなって、うなずいて聞かせていただきました。耳の痛いご指摘もあって、これはぼく自身もそうだよねって…。援助者としてまだ未熟ですけども、共感している部分があります。

またあとで、上山さんに質問していきたいな、と思っているんですが、わたし自身、上山さんはとてもこう言葉の使い方がお上手だなあと思ったんですよね。ひきこもりっていうのは「問い」だ、なんて。これ名言ですよね。

それは本人にも家族にも支援者、援助者にとっても「問い」なんだ。と。私自身もやはりずーっとそういう問いを自分に、つくづく問いつづけてきてるんだな、ということをあらためて上山さんに教えていただいたな、って思いました。

「問い」のこうなんか、酸素みたいな…。で、そこの「問い」がたぶん微妙にずれるんですね。本人が自分に発する「問い」と、家族がどうしてこの子はひきこもったんだろうっていう「問い」と、援助者が依頼を受けて「どうしたらいいのかな」っていう「問い」が、微妙にこうずれていく。で、ずれていくところに、おそらく不幸だとか、嫌な体験だとか、傷つく体験だとかが生み出されるんだろうな、という。

そういうことでいうと、やはり、上山さんのように、ご本人の体験から語るっていうのはとても大きな意味があるんだろうな、と。で、そのずれみたいなものを修正していく、そういうことが大事なのかな、という気がしています。

それとまあ、ぼく自身も今、はっきりいうとフリーなんですけどもね。実際、失業中なわけなんですけども…。どこにも所属してないっていう不安感を今私はもっているわけですけども…。あの、なんだろうな、やっぱりどこにも所属してないってことはとても不安なことなんだろうなっていうことを、ぼくは今あらためて感じてます。

で、おそらく、ひきこもりの人たちも同じことなんだろうな。その上でさっきいわれたように「政治的に敗北した人たち」だと。とてもきびしい捉え方だなって思いました。

私はやはり、精神病院とか、ひきこもりを狭いところにおしこめたくないですね。それはひきこもってる本人が傷つくし、家族が傷つくし、結局、社会の片隅においやってしまって、「おかしい人だよね、おかしい家族だよね」で片付けてしまう…。それはやっぱり許せないし…。  

そのためにはやはり、家族と、ご本人だけじゃやっぱり、どうにもならない。そこでやはり、援助職の方だとか、今日のような支援してくれる方だとかね。その方たちの力だとか、連携だとか、協力だとかがなければ、やはり、なんていうかな、公平な対話の地平の上に立てないんじゃないかな。今までも、知的障害者だったり、あるいはハンセン病者、水俣病者だったり、全部しまいこんでいるんですね。そういう誤りというか。どういう問題でも、やはりまず、深く反省したい。

関口

ありがとうございます。たしかにね、20年前に不登校の問題が出てきたときと、非常に状況が似てるんじゃないかと思います。不登校の人たちは「病気ではないか」とか、「ち

ょっとおかしい人たち」なんじゃないかっていうことで、むりやり精神科で薬出したり、入院させたりっていうような、そのことでかなり傷つけてきたという歴史がありますから…。せめて、その歴史を学んでね。そういう、精神医療とかの持つ暴力性みたいなものにもうちょっと我々も気がつきながら…。

あと、そうですね、上山さんの話にも出たように、ようするに専門家がしきるっていうやり方じゃなくて、専門家は専門家である種学びながら、こういう人たちとネットワークをつくっていく。あと、触媒っていう言い方ですけどね。媒介していく、触媒になっていく。そういう役割みたいなものにたぶん、ひきこもりにおける支援者のひとつの可能性があると思いました。長谷川さんどうもありがとうございました。

長谷川

よろしくお願いします。

関口

えー、今日のもう一人のゲストですが、上山さんとおなじく、ひきこもりの体験をお持ちの、もも(仮名)さんです。こんばんは。

もも

こんばんは。よろしくお願いします。

関口

ももさんはシンポジウムのチラシのほうでは、「もも」さんっていう仮名になっておりましたが、今日は本名を名乗ってもよいといってくださったので、今日は本名で…。まあ、本当にこういう場所で名前を出すって言うのは、みなさんが想像する以上に勇気のいることなんだと思います。

それで今日は会場の人たちと一緒に、ももさんの体験を共有させていただくことをご承知してくださって、本当にありがとうございます。

ももさんは不登校の親の会などにも関わってきたということで、近年はご自身のひきこもりの体験をテレビや、新聞や、本などで発表されたりもしています。えー、ももさん、何回か上山さんとはお会いになったことがあるとうかがってますが。

もも

会ってる回数は少ないんですけど。

関口

でもまあ、すっかり意気投合されたみたいで…。

もも

仲良しです。

関口

仲良しですね。もう同志って感じですかね。ももさんは不登校の経験をお持ちで、そこからひきこもりの体験をしたということなんですが、えーっと、どのくらいの期間ですね。ひきこもっておられたのかということを。その期間をおたずねしていいのかな。ちょっと年齢がばれちゃうかななんて思うんですが…。

もも

いいですよ、はい。えっと、最初に高校生のときに不登校になって、で、高校中退して、大検を受けて、推薦の高校にいって、大学に入ったんですけども、やっぱり大学にも行かれなくなってっていう感じで、その後は、まあ、アルバイトをときどきしながら暮らしてました。   

それで20代の半ばのときに、それはちょっと完全なひきこもりっていうふうになるのかもしれないんですけど、2年間ほとんど家から出ずに、ひたすら眠り続ける、一日16時間とか20時間とか、もう毎日とにかくずっと寝てるっていう期間が二年間ありまして。そこから、まあ、きっかけということのほどのこともないんですけど、なんとか抜け出してから、今までずっと、アルバイトを繰り返していますけども…。

なにも私にとっては解決いまだにしていないですし、経験者というよりは当事者だというふうに思っています。

関口

いまだに当事者だということですね。

もも

うん、苦しさはまだずっとある。

関口

今は、アルバイトなんかをはじめられて、仕事という形で、社会との関わりを持ちはじめたっていうことですけども、そうやってまた、仕事という形で社会と関わっていくっていうのは、どうですか、ご感想とかありますか。

もも

あのー。非常にしんどいことなんですけれども、上山さんのお話の中で、どこでしたっけ。稼ぐためにボロボロになっちゃう。でも、自分を守るために生きようと思うと、稼げない。本当にそのとおりで、私も昨日まで5月から二ヶ月間、短期のお仕事をしていたんですけれども…。フルタイムで、えー、往復3時間弱、通勤にかかって、でも週4日なんですけども…。

その間二ヶ月間の、疲労っていうか疲れ具合っていうか、もう家に帰ってきたら、顔面蒼白で口も利けないっていう…。本当にもう、なんて大変なことを私はやってしまったんだろう、2ヶ月持つのかな、一日一日もう命がけで生きてるっていうような苦しさがあって…。

それでも、一月にもらえるお給料っていったら、ほんとに数万円なんですね。で、とてもじゃないけど割に合わないって思って…。仕事しないでもとりあえず食べてはいけますけど、でもやっぱり自分のお金っていうのは一銭もないわけにはいかない。でも仕事すると本当にもう死んじゃうかと思うくらい、苦しまなくちゃいけない。

でも、自分を守るために生きていこうとすれば、やっぱり稼ぐことはできないし…。そのへんの苦しさっていうのはもう、わたしは最初に不登校してから今年で二十年になるんですけども、その苦しさはいまだに解決できないです。

関口

ある意味では、ひきこもりの問題が甘えだとかナマケであるとか言われてしまう背景には、なんでしょうね。仕事にいくとか、学校にいくなんていうことが普通にできてしまうのがアタリマエっていうかね。で確かに、多数派の人、世の中の大部分の人はそれが当たり前にできちゃうんだと思います。でも、それがどうしても、みんなと同じようにはできないという人が少数派ですがいると。

で、もしかしたら、ひきこもりの問題っていうのも、社会にとっての少数派の人が、多数派の社会の中で生きていくことのつらさっていうかな、苦しさの問題でもあるんじゃないかなと思うんですが…。

えーと、ももさんにも、今の上山さんの講演を聞いて、また感じたことなんかをお話し願いたいと思うんですが…。ひきこもりの経験は一人一人違うものでしょうし、また男性と女性っていう違いもあるのかもしれません。まあ、そのへん、ももさん自身の体験とね、引き比べてみて、なにかお話しいただけますでしょうか。

もも

えっと、そうですね。私は、先ほどの上山さんのお話しをうかがって、やはり非常にに共感する…。本当にもう「そのとおり。そのとおり」ってうなづく所ばかりで、もしかしたら、男女の差はありますけども、たまたま私と上山さんが少し似ているところを持っているのかもしれませんし…。

まあ、ひきこもりの方に共通する部分なのかもしれないですけど、「問いかけである」ということも本当にそのとおりだし…。私もたぶん一生かかるだろうと、自分でも思っているし、政治的に負けているということも本当にそのとおりだと思います。

もっとたくさん、本当に「そうだ」と思うところはたくさんあったんですけれども、特に私がとても印象的だったのは、誰も人間の言葉をしゃべっていないと思ったと…。肉声で、私もそれは、たぶん自分では気づいてなかったですけれども、子どものときから、きっとそう思っていて、こう言葉は、上のほうでただ、みんな飛び交っているような感じがして、もっとこう、なんていうんでしょうね。心が本当に通いあいながら会話をしていないっていう思いはずっとあって…。

で、そういう人との一人一人との出会いが、やっぱり、まあ今でもしんどいですけれども、でもまあ、今ここに出てくることができるくらいにはなっているとか…。そういう、その、本当にちょっとずつちょっとずつ回復してきたなかには、そういう肉声というか、人の言葉でしゃべれる人との出会いというのが、やっぱりその積み重ねが大きかったということをすごく強く感じました。

関口

そうですね。上山さんの言われた、ちゃんと人間として、通じる言葉を持っている人たちになかなか会えないで今まで来ちゃった人たち。空疎な建前とか表面的な言葉にしか出会えなくて、それである種、この社会にたいする絶望でひきこもってしまった人たちっていう…。上山さんの本に例として紹介されていたユダヤ人のね、あの、「シュワー」でしたっけ…。

上山

「ショアー」

関口

その「ショアー」っていう映画。ユダヤ人のナチス強制収容所の、そこに入れられたユダヤ人たちの証言を集めたドキュメンタリー映画なんですが、そのなかの一人のユダヤ人がいった言葉に、収容所に入れられて、毎日ガス室に送られていくみたいな、もうちょっと地獄のような体験をしてて、でも、そういうことをする、ドイツ人ってのも、普通の親だったり、普通のいい、家帰ればいい父親だったりする人たちが、そういう、収容所の監視になってやったり、でそういうことが行われているっていうことを世界中が知っていても誰も止めてくれない。

そこに収容されてたユダヤ人のある人が、「もしかして、もうまともな人間は自分たちだけになってしまったんじゃないか。世の中のすべての人は、もう人間じゃなくなってしまったんじゃないか」そういうすごい恐怖感、絶望感に襲われたっていうね。その例を上山さんがひいていましたが、ひきこもりの人たちが感じてきた、その、言葉が通じない感覚をね。そういう例をとって説明されてましたけど、本当にそういうある種のなんでしょう。もう世の中に自分の言葉をわかってくれる人はどこにもいないんじゃないかっていう、そういう絶望感っていうか不安感みたいなものをね。生きてく中で、経験した人たちなのかもしれません。ももさんありがとうございました。よろしくお願いします。

 

1)どうやってひきこもりから抜け出すか

関口

今日のシンポジウムのテーマは、ひきこもりの「転」と「結」となっています。それはじつは私が、ちょっと前に呼ばれたあるあの会合で出されたテーマなんですね。そこにはひきこもりの当事者をお持ちになっている親御さんが来られていて、その親御さんがおっしゃるには、「今まで私たちは散々、ひきこもりの起と承のことは、はじまりとそれからどうなっているか」は聞いてきてると。でも、ひきこもりの「転」と「結」の部分ですね。どうやってひきこもりから抜け出して、どうやって社会とつながっていくかみたいな、そこの話がぜんぜん聞こえてこないと。それについて話てくれっていうことで、「ひきこもりの転と結」というタイトルをつけて、話をしてくれって言われたんですが…。ここに来られてる方も、かなり親御さんの方こられていると思いまして、たぶん、今日はやはり、その辺のことを聞きたいと思っていらっしゃってる方が多いんではないかと思います。

えー、ではまず、ひきこもりの「転」ですね。つまりどうやってひきこもりから抜け出すかっていうことについてちょっと、お話し願いたいと思います。

私が今まで出会ってきた、ひきこもりの経験者、体験者の人たちの話を聞きますとですね。ほとんどの方は、きっかけはさまざまなんですが、自力でそこから脱出してきた方たちのように思えるんですね。

で、今日の上山さんもそうですけども、自分からなにかをきっかけをつかんでいく、親から与えられたとかなんかじゃなくて、やっぱり自分から、自力で抜け出してくっていうのかな。やっぱり私が今まで会ってきた方は、そういう方が圧倒的に多かったような気がします。まあ、「自力脱出型」っていうんでしょうかね。

一方ですね。支援者や親御さんは、そうだと思うんですが、まあ、なんとかしてそういうひきこもり状態から早く抜け出させてあげたいということで、外側からこうひっぱりだしてしまおう、ひっぱりあげてしまおう、としてしまうわけですね。で、そうした場合、もしかすると、「他力型の脱出」みたいな感じになるのかな、と思いますが。

そのあたりのことについて、なにかお考えのあることはなにかありませんでしょうかね。上山さんなにかどうでしょう。その脱出するときに自分の力で最終的には脱出していくんじゃないかな、と私はそういう印象受けているんですけども…。

上山

「自分の力」と言ったときの、その「自分の」の部分が問題なんですけども…。私自身がたとえば、親の会の会合に参加して、「ぜひ家の息子と会ってほしい、娘と会ってほしい」ということで、これまで何件もご相談受けて、お会いするためにセッティングの努力をしたりということもしたんですけれども…。これは非常に、ご両親の大勢いらしゃっる場では申し上げにくいんですが、当事者たちの持っている、親の世界――いわば、自分に敵対している世界に当たるわけですけども――その親の世界に属していると見なしている人たちに対して、敵対感情というか、拒絶感情、あるいはアレルギーと言ってもいいと思うんですけども、そういったものがものすごく決定的にありますんで…。

たとえば私が母親の紹介で行ったという時点でもう会ってくれない、という。つまり、「自分vs.世界」という見方になっているんで、「あ、こいつも世界側か」と。「親側か」ということになってしまうわけです。

で、僕自身の場合でいいますと、やっぱりインターネットっていうのはかなり決定的だったんですよ。それは、親の知らないところで、こっそり女性と知り合っていて、やっぱりその「こっそり」っていうのは、かなり決定的だったんですね。

だから、自分で活動してまして、自分が親の紹介で本人に会いに行こうとするのは、すごいジレンマなんですよ。逆の立場で自分がおんなじことされてたら、会ってたただろうかって考えたら、たぶん、会っていなかっただろうと考えられるわけですね。

母親が誰かを「ちょっとあんた、こういう人がいるから会いなさい」って連れてきたって、会わないだろうってことですね。そうすると、ちょっとその、質問用紙いくつか拝見してるんですけども…。これは私自身にとっても「問い」であるんですけどね。私自身は閉じこもっている中にも、出会いに対する欲望っていうのは強く持っていたんですよ。つまり、自分の身の回りには出会う相手はいないけれども、どっかにはいるんじゃないのか、と。

それはやっぱり、直接こうやって出会う中にはいないけれども、インターネットの海の中にはいるんじゃないか。広大な世界の中にはいるんじゃないか。で、実際にいたわけですけどね。ですから僕は、自分がご相談受けるときはまず必ずインターネットはお勧めするんですよ。とりあえずお勧めするんですけども、「いや、うちの子はインターネットもやりたがらない」と、「インターネットでさえ傷ついてしまったです」とかね。

インターネット関連の犯罪事件なんかももちろん起こってますから。それさえ拒絶している本人のときに、では、どうしたらよいだろう。本人が、第三者的に見た場合、どう見ても、完全に閉じる方にしかベクトルが向いてない場合にですね。

これは私は、まず、あり得るだろうか、っていう問いがひとつあるんですよ。その、本当に誰にも、もう接点を持ちたくないという閉じこもりですね。おそらく、餓死してしまったようなケースというのは、こういうベクトルがあったんではないかと思うんですけども。今のこの日本において、餓死を選択しようと思ったら、よほど強烈な拒絶感情がないと、無理だと思うんですよ。ある程度おなかがすいて、ご飯を食べたいと思う。ある程度の前向きな気持ちがちょっとでもあれば、誰かに頼むとか、借金頼むとか、方法はいくらでもあると思うんですよ。

去年の宮城県で起こったような、20代と30代前半の兄弟が、自宅の一階と二階で餓死して発見されるというような。で、自宅の冷蔵庫開けてみたら、干からびた梅干しが2,3個っていう。あれは、結局本人自身が自分から誰かに出会いたい、というその欲望と、いやもう誰とも会いたくないという拒絶と、そのせめぎあいのギリギリのところで、結局不幸な、不幸の上に不幸が重なってですね。親が死んだり、誰が死んだりということで、結局最後の最後のところで、「もう誰にも会いたくない」が勝ってしまって、餓死してしまった。でも、僕の場合は、自分はヒッキーになってましたけども、やっぱりどっかで誰かがいるんじゃないのかなっていう、その「どっかにいるんじゃないのかな」っていう気持ちで、やっぱりインターネットの世界に向かっていったんだなと思うんですけども…。

関口

そうです。たぶん、ひきこもりになる人たちっていうのはやっぱりどっかでそういう出会いっていうのかな、つながりたいっていう気持ちをもってらっしゃると思うんです。ただ、ひきこもりが長期化することによって、そういう意志もだんだん衰弱してっちゃうような。で、その餓死した人の場合、もしかしたらね、その、うん、いつしかそういう意思自体が衰弱してったようなね。

上山

いまおっしゃったこと、すごく重要だと思うんですけどね。あのー、よく受けるご相談で、ひきこもりの初期の段階の場合はですね。物を買ってくれっていう、非常に横暴な要求を、親に突きつける例が多いみたいなんですよ。車を買ってくれとかですね。100万円もするような車を買ってくれとか、オーディオセットを買ってくれとか、やれ海外旅行がどうだとかですね。

ところが、ひきこもりが長期化した事例に関しては、ほぼ軒並み、物やお金に対する欲望が薄れていくんですね。ひきこもり10年以上、この前受けた相談でも、もう15年以上とかいうケースでしたけれども、30代半ばの息子さんはですね、わざわざ親が、お小遣いとして毎月三万円ずつ渡しているんですよ。それをタンスの引き出しに入れてるらしいんですけどね、毎月たまる一方だっていうんですよ。まったく使わない。つまりもう、この世界に興味のある対象がなくなってしまっているんですね。これはやっぱりすごい危険サインだと思いますね。

関口

はい。ちょっと私が前にショックを受けたのは、あるひきこもり体験者の方とおはなししてて、その方10年くらいひきこもり歴があって、でもその10年間というのはその人にとってはまったくの無駄だったと。もうその期間なんの成長もなかったし、もうただ空白の時間だった、と。どこかで、誰かに途中でそこから連れ出してほしかったと、無理やりにでも、っていうね。ちょっと話しを聞いたことがあって、私自身も非常にちょっとショックだったんですけども…。

あの、ももさんね。うーんとその、ももさんは不登校を体験されてて、で、ひきこもりも両方体験されてますが、不登校の場合は「不登校していいんだよ」みたいないい方があって、結局それは正しかったと思うんですけども。でもひきこもりに関してね、「ひきこもっていいんだよ」みたいな、そういう意見っていうか、発言みたいなものは、一方であると思うんですが、そこら辺に関してはどうですか。

もも

そうですね。まあ、私も毎日いろんなことを感じたり、考えたりモヤモヤしながら毎日暮らしてるんですけど、その点に関しては最近すごく気になっていて、不登校に関しては、私自身の体験も含めて、そりゃ学校に行かなくていいっていうことは、非常に、なんていうんでしょうね、よいメッセージだったというか。私も、行きたくなければ行かなくていいと思うし、自分も、その言葉にすごく救われたんですけども…。

不登校とひきこもりとは、ちょっと私は違うと思っていて、「ひきこもっててもいいよ」っていう言葉を最近たまにあちこちで聞いたり見たりするんですけども、私は学校には行かなくていいっていえる。はっきり言えると思うけれども、「ひきこもっててもいいよ」っていうふうに、当事者ではない人がいうっていうことに関しては、非常にこう、ちょっと恐いというか、違うんじゃないかな、って思うんですね。

それは、もしかしたら、ごく一部、本当に「一生誰とも会わずに、生きていたいんだ」っていう人も、もしかしたらいるかもしれない。けれども、でも本当に、「一生誰とも会わなかったり、人と交流しないで、いいの?」って思うし、そのひきこもっている状態っていうのは、ものすごくつらいですね。

もう本当にただ、怠けているように、まあ不登校もそうですけど、怠けているように見えるけど、ただ食べて寝て、もうそれだけ、ただ生きてるだけなのに、毎日が本当につらい。もうただただ、生きてるだけでつらい状況を、そのままそれでいいっていうふうには私はちょっと思えない。

で、かといって、無理やり引き出すというようなことも、ちょっとやっぱり、いろいろ危ないだろうし…。あの、ただ、「マユごもり」っていうふうに私はいつも、使うんですけども…。最初の時期ですとか、ある一定の期間、休むためにね。ほんとに心身ともに休むために、たっぷりひきこもるというか、家にこもる時期はとても大切だと思うんですけれども、一生そのままでいいっていう風にはやっぱりちょっと思えない。

その辺を、なんていうんでしょうね、さきほどの上山さんのお話しにあったように、親子の関係でも、「愛は負けても親切は勝つ」という、その、距離はちょっととっててほしいけれども、やっぱりその苦しんでる当事者を前に、あの、ときどきちょっともう、放るっていうかね。「私は私で好きな人生を生きていくわ」っていうような、こともちょっと聞くんですけども、それはちょっと、きついかな、という気がします。本当に、生きるか死ぬかっていう苦しみをもっている子どもの気持ちを、わからないまでも、やっぱりその、苦しんでいるっていうところまでは視点を向けていてほしいというか、わかりますか。

関口

はいはい。とにかくその、体験者の話に共通するのは本当にその苦しさということですよね。本当ににもう、なにしていいのかわからない、本当にもう苦しい、苦しくても寝てるしかないみたいな、もう全身がラップで覆われたようなね、もう身動きができない苦しさみたいなね、そうみなさんおっしゃってて…。で、だからそれをほっとく、ほっといていいんだよって、さっきちょっと上山さんから指摘にもありましたが、支援者のやっぱりね、よく使うあれで、「少し様子みましょう」とか「ちょっと、じっくりかまえましょう」とか、でもそうやって、どんどん時間たってしまうとかね。それにたいしては、どうなんでしょう。長谷川さんなにかありましたら。

長谷川

難しいですねえ。あのー、今お二方がね、おっしゃったこと、僕はこう、わかるような気もするんです。ひきこもっている本人じゃないから、本当のことはわからないけど、わかったような気がするんですけども…。

たとえばね。本人が、わかってほしい、あのー、出会いの欲求欲望、わかってほしいとか出会いたいとかね。「そういうふうに思われているのか、誰にもわかりっこないよ」って思ってるのか、「オレ、わかられたくないんだ」って思ってるかっていうことが、なかなかご本人からはストレートに伝わってこないわけですよね。

私の援助職という立場からすると、どうしてもお父様やお母様の、お話しをうかがいながら、ご本人がどういう気持ちで、生活されているのかということを間接的に、それもお父さんお母さんっていうフィルターを通して、まあ情報ですから、正確でない可能性もある。大変こういう言い方は失礼なんですけども。で、それを割り引いたり、つけたしながら、ひとつこう推測をしていくという、本当にそれが援助なのかって怒られちゃうんですけども、それしかできないんですよね。

ただ、やはりご本人たちからそういう直接的なメッセージがないとすると、やはり、今ももさんがおっしゃったように、つかず離れず、もう適度な距離感を持った、たとえば環境だとか、世の中での空気とか、そういうことをまず、どうやってつくるのかっていうことからしか、やっぱり、始まらないのかななんて私はずっとこう思っていて…。

たぶん、その起承転結の「転」のところで、ご家族がやはり、困って意を決して相談にこられてるんですよね。その行動だけでもぼくはものすごいことだっていうふうに思ってるんです。親もどうしちゃったんだろうっていう不安や焦りを持っていますし…。どうにかしたいって、多くの多数派の人たちのようになってほしいと思ってるんで…。どうしてもそういうふうに作用しがちですよね。それに対して、援助職としては、ちょっとお父さんお母さんに、その不安や焦りを、お子さんに直接ぶつけるんじゃなくて、違うとこで少しクールダウンをする、そういうことしませんかっていう提案しか、やっぱりできないですよね。うん。

で、お二人にいますぐじゃなくてもいいんですけども、うかがいたいのは、たとえば自力で出会いたいっていう欲求や欲望があれば、自力でSOSが出せると…。ぼくの体験の中では、そのSOSだせなくって困ってるというケースが多い。そのSOS を出す、そういう力っていうかパワーを、どういう風に育んでいらっしゃったのか、ということがとても知りたいことなんですけどもね。→続く

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