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ヒッキーネット結成記念講演会 

     2002年6月28日開催@横浜開港記念会館

 

 

第1部【講演】―問いかけとしてのひきこもり―

講師:上山 和樹(元当事者『ひきこもりだった「僕から」』著者)

 

1)ひきこもりは問いである

 

はじめまして、上山と申します。よろしくお願いします。今ご紹介いただきましたけれども、今日は本当にお招きいただき光栄です。ありがとうございます。

簡単に私の経歴といいますか、いきさつと、「ひきこもりの起承転結」というふうに今日の論題があるわけなんですが、自分自身を一個の実例として出しつつ、一般的なお話にも少しつなげられたらなと思っております。

私は今、33歳です。今度の8月で34歳になります。まず最初に、大きく二つ銘記しておきたいことを申しあげます。一つは、ひきこもりとは、まず誰よりも本人にとって問いかけであると…。問いである、ということですね。つまり、なんでこうなってしまっているかが自分でもわからないわけです。それが非常に苦しい。そういう「問い」であるっていうこと。つまりそれはまず本人にとって問いであるし、親にとっても問いである。なんでそうなってしまっているかわからない。それからもちろん、ひきこもり当事者に対して正確な対応ができない医療関係者、あるいは行政関係者に対しての問いかけ、でもあると思います。ひきこもりというのは問いである、ということを一つ、大きく申し上げたいと思います。

もう一点。これはかなり私なりの偏った表現になりますが、ひきこもりというのは政治的に負けてしまった人たちだ、ということ。政治的という、ちょっと堅苦しい言葉になりますが、簡単に言いますと、自分の心と体を守りながら、社会に居場所を作っていくことに失敗した人たちだ、ということですね。「自分のこころとからだを守りながら、社会に居場所を作っていくこと」、それを一言でいうと、政治ということになるんじゃないかと思います。もう1回いいます。ひきこもりの人達というのは、自ら望んでそうなるとか、甘えているとかいった問題ではなくて、政治的に負けてしまった人たちである、と。

えー、二点申しました。ひきこもりは問いである。まず本人にとっての問いである。もちろん、関係者にとっても問いかけである。問いであるということが一つ。それからもう一つ、政治的に負けてしまっている存在である。家を出ていけない、社会生活ができない、経済生活が送れない、そういう意味で負けている。

去年(2001年)には東京の江戸川区で、ひきこもりの息子さんをもつお父さんが息子さんを殺してしまって、ご自分も首を吊ってしまうという心中事件があったり、あるいは宮城県のほうでは、ひきこもりの兄弟が両親の亡くなった後、自宅で餓死するといった悲劇的な事件がありました。まったく私自身他人ごとじゃないです。私は今日ここにこうやって皆さまの前に、公の場所に来させて頂いてるわけですけども、親には内緒なんですね。あのー、神戸から今日新幹線で来たんですけども、旅行に行ってくるというふうに言ってまして…。親は私のこの活動を、認めてくれてはいません。それをちょっと心の片隅に置いておきながら、少し聞いていただけたらな、と思います。

私は1968年に生まれまして、小学校時代にはいわゆる優等生、勉強もスポーツもできて、学級委員長やって、というようなタイプですね。で、中学校受験に失敗しまして、有名高校めざして非常に有名な進学塾に入って、そこで勉強を頑張って一番の成績とったりしてました。さあもう、このまま優秀な高校から東大行くんや、と言っていたその時に、中学2年生のころでしたけども、自律神経失調症、あるいは過敏性大腸症候群という症状名をつけられましたけれども…下痢が止まらなくなってしまって。50分の授業中に、2回3回と手をあげて「先生」、もう汗だくになって、「先生トイレ」って。共学で、まわりに女の子のいるところでしたから、もう恥ずかしくてしょうがないんですね。それが始まってしまいました。一年くらいは我慢して行っていたんですけれども、中三の二学期から、ついに、夏休み開け一日目からいっさい行けないということになりました。

その後、高校受験しまして、入学したんですけども、入っていったらですね、それが途方もないスパルタ教育の学校で、メチャクチャに殴られまして、でやっぱり行けなくなってしまいました。それから大検を受けて、大学には入ったんですけども、自分では非常に知的好奇心が旺盛で、大学入ってすぐに、大学でやっている授業を、もう全部、モグって聴きにいって…。聴くことのできる授業全部聴きにいったんですね。登録していない授業も含めて。おもしろい授業ないかと思って…。ところが失望してしまって――経済学部で、世の中のこと知りたいなと思って入ったんですが、ちょっと不遜なようですけども、当時の僕にとって、なんか納得させてくれるような話はなかった。まず、出席日数が落ちてしまった。

それからもうひとつ、僕が大学に入学した当時というのは80年代後半、バブルの絶頂期ですね。つまり、今から人格形成していこうとしていたそのときに、自分のまわりの人間はみんな、ブランド品やショッピング、海外旅行、車、そういった話ばかり。親世代はマネーゲーム、といった調子で。「生きて行きにくいな」「生きづらいな、どうやって生きていったらいいんかな」みたいな、普通の話がすごくしにくい――そういう雰囲気だったんですね。

今は不況で、それが今の20代の人たちにどう体験されているのかというのは僕はちょっと詳しくは知りませんけども、少なくとも個人的に私の場合は、学校に失望し、友人に失望しというなかで、結局大学に入ったんだけれども、不登校になってしまって…。で、大学を不登校、休学なんてやっているうちに、父親が癌になりまして…。もう余命いくばくもないというので、もうあわてて…。

そのときに言われたんですけども、日本ていうのは卒業資格が大事だから、「上山君は高校を中退しているから、大学まで中退してしまうと、君は中卒になるよ」と言われました。「中卒でできる仕事なんてないよ」と。で、恐ろしくて、とにかく大学卒業しなくちゃいけないと思って、下級生にいじめを受けたりしながら、必死に卒業までこぎつけました。 

卒業が、ちょうど95年。阪神大震災のあったあの年ですね。95年の3月です。地下鉄サリン事件があったあのころに卒業しました。ですけども、就職活動はいっさいしませんでしたし、精神的肉体的に、仕事をするというような状況じゃなかったです。もうとにかく、毎日毎日生きてるだけで精一杯。とくに卒業まぎわというのは必死に単位をとってましたんで…。

ですけれども世間体といいますか、親の目もありますし、とりあえずお金稼がなきゃ、というんでアルバイトをするわけですね。で、私の場合は、学習塾の先生、小・中学生を教えたんですけども。辞めさせられたり、あるいは辞めてしまったりということで、長続きしないんですね。

それが典型的なんですけども、一回目の挫折よりも二回目、二回目よりも三回目の挫折のほうが深刻になっていくわけです。挫折が重なるたびに、再起が難しくなるわけですね。これは私個人じゃなくても、一般に相談うけていてもそうですね。で、そういう感じで挫折を重ねていくなかで年齢ばかりが重なっていってですね。98年に30歳を迎えて、その「30歳」という年齢を迎えたときに、なんかこう、一回もう、降参しました。

自分はもう社会に出て、経済生活を送れる人間じゃないんだ。そういうことができない人間として生まれてきたんだ、というふうに、一回降参してしまいました。で、あの、本当に情けない話、お酒におぼれるしかないというような、自暴自棄というか…。父がもうすでに亡くなっていたんですけども、父が亡くなるときの母の様子を見ていたんで、まあ、僕が死んだらお袋はもうちょっと悲しむだろうなと思って…。だったら、お袋が生きてるあいだは生きていてあげようと。それだけ。なんかそういう、もう社会に出ていくことはできないけども、だけど申し訳ないから生きている、というそういう状況になりました。

 

2)肉声の不在

ひきこもりの起承転結の「起」と「承」というところですと、だいたいそのあたりのことになるんですけど、決定的に僕が経験していたのは…。これは家族との関係においても友人との関係においてもそうなんですけども…。「誰も人間の言葉をしゃべっていない」という感じがしていたわけです。

人間というのは括弧に入ってるわけですね。なんかこう、規格品の、出来合いの、気をつかいまくった、「あー、どうも!」というような社交辞令はあるけれども、ほんとの意味で、肉声で喋っていないじゃないかっていう、そういう感覚をずっと強烈に持って生きてきました。

今でももちろんあります。ありますけれども、僕は98年の10月、30歳になってすぐの10月に、僕にきっかけをくれた…立ち直りと言っていいかどうかわかりませんが…社会関係へつながっていくためのきっかけをくれたある女性との出会いというのは、彼女だけは、その「世間体」とかですね、僕の見てくれとか社会的立場じゃなくて、ほんとに肉声で付き合ってくれたな――そういう出会いがあったんです。

これはインターネットでした。当時弟がたまたま要らなくなったパソコンを家にもって帰ってきて、「これ兄貴にあげるわ」っていうんで、前からやってみたかったインターネットにつなぎまして、「トラウマ」とか「PTSD」とかで検索をかけたんです。で、インターネットで何人か知り合った人がいたんですけども、唯一彼女との出会いだけが、なんていうんでしょうか、お互いにもう腹の底から「そうそうそう!」ってお互い言い合えるような、「肉声の出会い」というか。

彼女は日本人の女性なんですけども、当時アメリカに住んでました。で、ホームページをやっていたんですけども、その内容というのは、彼女が非常に悲惨な犯罪被害に遭った、その被害体験を書き綴ったサイトだったんですね。で、僕はそのサイトの内容にショックを受けて、メールを出して、掲示板に書きこんで、で、彼女が「電話番号教えてくれ」と言ってくれて。国際電話で、お互いに、まあひたすら泣くっていう。お互いにどうしようもないね、と。

彼女は犯罪の被害に遭って、それ自体が非常に悲惨だったんですけども、さらにその上、夫からの家庭内暴力というのを受けてまして、なんかもうほんとに、お互いに地獄の底で出会ったみたいな――あの、はじめて彼女にちゃんと実際に会えたときにですね、「三途の川で出会ったみたいだったね」ってお互いに笑ったんですけども…。

周りの人がしゃべっている声に全部、体温を感じないというか、少なくとも自分の体温が伝わっていないな、受け止められていないな、という感覚がずーっとありました。ですから、まあ、ひきこもりの起承転結の「転」にあたる、「転」があるとすれば、僕はその女性(Aさん)との出会いでした。まあ、単純に恋愛感情もあったわけですね。

「彼女と2,3年後に会うことになるんだったら、今のままの自分では絶対にいやだ」と思って…。それで、もう一回何とかしようと思って…。30歳の誕生日を迎えたときに一回あきらめたんですけども、「いやもう一回なんとかしよう」と思って…。で、いろいろ模索していくなかにさらに偶然の出会いがあってですね。これもまた偶然の出会いなんですけども、同い年の男性、非常にウマの合う友達ができまして…。

そうしたらその友達がですね、「上山くん、一緒に住まないか」と言ってくれて

当時ぼくは31歳になってたんですけども。あの、単純に31歳の男同士が住むのが良いか悪いかという以前にですね、僕はそれまでに一ヶ月に稼いだお金の最高額ってのが3万6千円だったんですよ。バイトでね。その3万6千円稼いだ月っていうのはヘトヘトになってました。それは僕が、「自分は経済生活を送れない人間だ」という確信をもっていた理由だったんです。月に3万6千円稼いでヘトヘトになっているような人間が、家賃払って光熱費払って食費払って、食っていけるわけがない、と。

このへんの細かい顛末については、今日あちらに置いてある本(注:『「ひきこもり」だった僕から』)の中にもっと詳しく書いてあるんですが、彼と家賃を半分ずつ出して、一緒に住むっていう話に絶対についていけないと思ったんですよ。だからぼく断りました。断ったんですけど、しつこく誘ってくれるんですね。

で、これは非常に大事な点なんですが、今すでに当事者という立場でなくて、支援者という立場にまわって発言する機会があるんですけども、そうするとですね、たとえばこういう講演会に来た場合、「上山さん、おすがりしますから、うちの息子をなんとかしてやってください」っていうような声をかけられちゃうんですね。これは、勘弁してほしいです。これは個人的に勘弁してほしいというだけじゃなくて、あの、発想が間違ってるんですよ。

つまり、息子さんが下になって、僕が上にあるっていうこの発想がですね。これじゃ絶対にだめなんです。僕がきっかけになったその友人の彼っていうのは、「上山を助けてやるから、おいお前おれについてこい」っていうことじゃなかったんです。彼にとっては、僕が一緒に住んでくれることがうれしかったんですね。友人として誘ってくれただけだったんですよ。彼はもう、彼独自の社会活動、勉強会を開いたりしてっていう社会活動もしてましたから、「上山くんはけっこう話ができるし、来てくれたらすごくうれしいんだ」と言われて、純粋に彼に「求めてもらえた」わけですね。

つまり、最初のファーストステップは、インターネットの女性でした。僕との出会いをすごい喜んでくれました。僕と出会えたから、離婚も決意したと言ってくれました。本当にうれしかった。ただ、最初の彼女も、二番目の彼も、二人とも「上山を助けてやる」じゃなくて、「上山と出会えて良かった」と言ってくれたんですよ。

3)性的な挫折としてのひきこもり

ですから、これはぜひ強調したいのは、ひきこもりの話っていうのはですね、どうしてもやっぱり親の世代が主導になって、「子供世代をどうするんだ」っていうときに、親子という上下の関係がまずあって、で、この親に支援者がつながってですね、斜めにこう支援者が子と関係をもつという、こういう図式をついイメージしがちなんですけども…。でも、私の方からぜひ申し上げたいのは、この親子の縦のラインっていうのは、とりあえずちょっと一回置きましょうと。で、親は親で大変なわけですから、自分のことをやっていただくのがいいと思うんですね。

子は子で、子同士でこうつながる。だから、支援者というのが何をやるかといえば、仲介役だけとかね。媒介役というか。あの、おわかりでしょうか。あの皆さん、この講演会終わって、「上山さん助けてください」といわれても困るわけです。助けられません。助けられる場合があるとしたら、僕が、その本人に出会って、うれしかったときです。その方の息子さんに出会って、僕自身が「ああ、君と会えてよかった。もう君と一生付き合っていこうよ」っていうときに、僕は彼の力になれると思うんですね。

で、その時には、実はその彼は僕の力になってくれてるんですよ。だから、僕はもう、このひきこもりっていうテーマについては、この「上下の関係」についてはまったくもう実はなにも期待していません。横のつながり、出会いのネットワークというふうにしか考えていないです。今日のようなネットワークの発足式というのは、僕は非常に大切だと思っているんですが、すばらしいと思ってます。

ひきこもりの起承転結で、ほぼもう「結」の部分まで行ってしまってるんですけども。やっぱり、ひきこもりに関しては…あのですね、ちょっとこのあたりから、私の個人的な話から一般論的なところに移っていきたいんですけども…。私がいま直接ご相談を受ける一番多い年齢層は20代半ばから40歳ぐらいまでです。とくに年齢が上がれば上がるほど、頭の中は「就職」のことでいっぱいになります。仕事のことですね。お金どうするんだ。稼がなきゃ生きていけない。どうするんだよ。

「まず仕事」。たいていこうおっしゃるんですよ、ご両親は――「仕事ができれば、そこに人間関係があるから、そこでまた友達ができて、元気になれるじゃろう」とかって言うわけですけども、そうじゃないんですね。あの、ひきこもりの人っていうのは、いわば世界を相手に、自分たった一人で戦争してるみたいな、「自分vs.世界」っていうような、ものすごい焦燥感と拒絶感のなかで生きてますから、あるいは敵対感情の中で生きてますから。まず一回どこかで、僕がインターネットで知ったような、「ああ、この人には話が通じた」、あるいは「ああ、この人はなんか体温が通じあえた」というようなですね、その経験をまず一回ふんでもらわないと…。「まず仕事」というのは、もうはっきり僕は無理だと言うべきだと思います。

僕は、一番はじめのきっかけを、女性にもらいました。僕はこれを偶然じゃなかったと思ってます。インターネットでいろんな人と知り合いましたけれども、やっぱり僕に本当に本質的に力をくれたのは…ぼくは異性愛者なので女性が好きなわけですけど…やっぱり性的に救われたという気持ちがあったんですね。で、今日は、ご来場のみなさんは親の世代の方が多いと思うんですけど、親の世代の方、こういう話は非常に嫌がるかもしれないんですが、はっきり申しあげておきたいんですが、ひきこもり当事者にとって、ひきこもりっていうのは普通は経済的挫折・社会的挫折だと捉えられているわけですね。もちろん、当然そういう面もあるわけですけれども…。

ですけども、もうひとつ決定的に挫折してるんです、ひきこもりの人っていうのは。それは何か。性的に挫折してるんですね。性的に挫折しているわけです。――自分は一生女性と付き合えない、男性と付き合えない、恋愛もセックスも結婚もできない。そういう人間として、自分はものすごい情けないダメな人間なんだ。そう思い詰めてしまっている人がどれだけ多いか。それがどれだけ激しい苦しみになっているか。これはぜひ強調させてください。

最初の方で、「ひきこもりは“問い”だ」、それから「ひきこもりは政治的に挫折している、ひきこもりは政治的に負けた人たちだ」――この二点を申しました。それの「三点目」として言いたいくらい、強烈です、この「性」の問題。性的に敗れてしまっているんですね。ひきこもりはどんな統計をとってもかならず男性が多いです。8割が男性だと言われています。男性の当事者たちと会うと、本当にしょっちゅう結局こういう話になるんですよ。「女の子と出会いたい」と。

男性と女性との違いっていうのは、これはまたもっと突っ込んだ話として、今日はひきこもりに関しては初歩的な話をなるだけしたいと思うんで、ひきこもりの男女差がどうだということはこれまたかなり興味深い話なんですけども、またいつかやってみたいと思いますけれども。

4)「待つこと」と「親が変わること」について

それとですね、ひきこもりのご両親が相談しにいった相談機関、精神科医とか、行政の相談機関・相談先でほぼ間違いなく言われていることが二つあるんです。ひとつが「待ってあげなさい」。もうひとつが、「親が変わりなさい」。両方とも、うなずける部分もあるんですね。

まず、「待ってあげなさい」っていう方なんですけども、これは段階論の問題だと思います。つまり、ひきこもりのごく初期の段階ですね。たとえば中学校で不登校はじめましたとか、会社につい最近いかなくなったとか。ごく初期の段階においては、やっぱりちょっとクールダウンというか、それこそ単純に休む期間が必要ですから、まあちょっと待ってあげるというのは必要ですけれども、「うちは待ち始めて10年たった20年たった、もう40歳すぎた」なんて聞いてるとですね、単に「待ってあげればいい」というアドバイスはそれだけでは無責任になってしまうわけですね。ですから段階論の問題だと思います。ごく初期の段階においては待てというのは意味があると思いますけれども、段階の問題があると思います。

次に、「親が変われ」という話なんですが、これは先ほどのタテ関係ヨコ関係という話ともかかわるんですけども。今日最初のほうで申しましたが、この場に私が出てきて話をしている、こういう活動をしていることを私の親は認めていません。許していません。息子の将来がこういう活動によって潰されていくんだ。「あいつはかつて引きこもっていたんだ」、そんな恥ずかしい事実が世間に知れてしまったら、就職の機会も失われるじゃないか。本気でそうやって心配してくれてるんですよ。

親は私を心配してくれてるんですよ。私の「上山和樹」っていうのは実名ですから、実名で講談社から本まで出てしまっているんですね。で、今年(2002年)の5月12日の母の日に、私は本――去年の五月にお話をいただいてから、半年間かけて書き上げたんですけども、ずーっと親に内緒で、出版してからも内緒にしてました。で、今年の5月12日、母の日に、つい先月ですね、えー、カーネーションを買ってきまして、こういう本を出したんだけどもといって出したら、拒絶されました。なんちゅうことをするのか、と。家の中にあった恥ずかしいことを世間さまに知らしめて、しかもあんたは今後就職したり仕事したりするときに、マイナスイメージがつくやないか、なんちゅうことをするんや、と。手に取ってもくれませんでした。

そうすると、僕の家にとっては、親子関係っていうのは別に変わっていないんですね。で、今ここにおいでになっているご両親たち、というのは、当事者のご両親たちだけじゃないと思いますけども、今ひきこもりの当事者は100万人いるといわれています。100万人ということは、その家族も含めると、300万、400万ということですけども。100万家族あって、たとえば今日、ここにいるみなさん、そのうちの何%か。こういう場所に出てきている人の数というのは、極端に少数派ですね。

私の母はこういう場所には絶対出てきません。で、そういう人たちの方がはるかに確実に多いんですよ。だから、実はここで出席されている皆さんに喋っている時点で、すでに少数派に向けて喋っているかもしれないんです。かなり良心的というか。良心的というのもヘンですけども。自分の息子さん娘さんの問題に向き直ってみようという姿勢を持っているわけですよね。

「全国ひきこもりKHJ親の会」という親の会のネットワークを組織されている奥山雅久さんという方がいらっしゃいますけど、日本中かけずり回られて、「一都道府県に一つの親の会を」というのをスローガンに活動されていて、いま全国で4000家族近く集められたそうです。4000家族、すごいですね。でも、100万に対して、4000家族。パーセンテージにして、0.4%なんです。1%にもなっていないんですよ、4000家族いても。わかりますか。この目に見えない、暗数というか。ちょっとゾーッとするんですよね。ひきこもりの本当の姿は目に見えないんですよ。だから、そっちのほうが深刻なんですよね。

少し話が戻りますけども、精神科医や行政がいう「親に変われ」っていうアドバイスなんですが、ご両親たちっていうのは、もうやっぱり50年、60年、あるいは70年、ご自分たちのスタイルで生きてこられたわけですね。それに対して「変わりなさい」と抽象的に言われても、どう変わっていいやらわからないと思うんですよ。簡単な話。

では、私自身はどうかといいますと、私の母親は65歳です。私は33歳。で、正直いうと私は、自分が本を出版したり、こういう公の場所で発言する活動をしたり、そういう活動をしていることを認めてくれていない、ということについては、ほんとに頭悩ましていますけれども、今からその母親を変えようという気持ちは、僕は、正直いうと、持っていないですね。で、これは、僕なりの優しさのつもりなんですよ。つまり「僕のためにこれからお母さん変わってくれ」っていうのは、もうちょっと残酷すぎて言えないんです。

これは、同世代の方には失礼かもしれませんけども、僕にとってはもう、うちの母はやっぱり、もう、おばあちゃんになってきちゃってるんですね。あの、母なんですけども。ああ、年とったな、と思うことが最近すごく多くて…。その母にですね、僕はこのやっている活動、いくら命がけで頑張っているんだ、と言っても、今まで65年生きてきたスタイルを変えて「変わってくれ」っていうのは、僕は残酷すぎて言えません。だから僕は僕のことやるから、お母さんはお母さんで生きてくれ――そうするとこれはもう、ここで皆さんに向けて発言している時点で、ある種なにか矛盾しているようなものだと思うんですけどもね。親は親でご自分たちの人生を楽しんでいただきたいと。

では、ほっといたらいいのか…。僕は、斎藤環さんがおっしゃっていた「愛は負けても親切は勝つ」というのがすごい気に入ったんですけども。「愛情」っていうのは、強烈である分、負担になる面も強烈なんですね。で、ひきこもりの家族の方の愛情関係っていうのは、もう、愛もあれば、憎悪もあればといった感じで、愛憎関係がグチャグチャになってますけども。愛という話を始めてしまうと、収集がつかないですね。これが「親切」だったらできると思うんですよ。

今日ここに皆さんおられますが、僕が愛情を持っているのは僕の友人だけで、他のみなさんには、僕は別に愛情はありません。ですけども、親切をする、ということはお互いできますよね。ちょっと「重いもの持ちましょうか」とかね。この「親切」を、もうちょっと別の言い方をすると、「一緒にいて、ほうっておいてほしい」というかですね。僕もそうでしたけども、ひきこもり人間って、僕もずっと母と二人で家にこもって、そうするともうなんともいえない、窒息しそうな、密室の空気というか、もう耐えられないままでしてね。そこにメスを入れる活動が何かないかっていうのを思案しているわけなんですけども…。斎藤環さんなんかは、下宿人置けばいいんじゃないかな、なんて言ってましたけどもね。それも一理あると思いますけども。

「お母さんお父さんはお前のこと心配しているんだ」というその「愛情」という、そっちにすぐに行かないでですね、「愛情」じゃなくて「親切」を注いであげるという…わかりますかね。あの、これは当事者独特の匂いみたいにしてわかることなんですけども、ひきこもりの話っていうのは、ひどく人を消耗させます。当事者本人もそうですけども、家族も、そしてまた支援者の人も、消耗させるんですね。ですから、愛じゃなくて親切というのは、僕は大きいと思ってるんですよ、本当に。

5)タテの関係よりもヨコの関係を

支援者としてもやっぱり、関わり方を間違うと潰れてしまうんで…。僕も今日ちょっと体調くずしたんですけども、そういうことですね。ですから、親は親で、ご自分たちの親の会をつくっていただくなり、で――今日「ステップ」という当事者の会の何人かがお手伝いにこられてますけども――当事者は当事者で、自分たちのつながりを作っていくと。で、親の会と当事者がつながるとしても、上下関係ではなくて横の関係なんだと。交流会とかですね。「横の関係」というイメージをどうしても持ってほしい。

あの、やっぱりどうしても持ってしまいがちなイメージとしてはですね、よわーい当事者がいて、それをかばっている親がいて、で、その上にこう、えらい権威のある先生方がいらっしゃって、で、親が権威のある先生方のところに「先生よろしくお願いします」といって、お金を渡して、「うーんよしわかった。どれ見てやろう」という、こういう図式ですね。

こういう「上下」の図式。これはまったくだめです。少なくとも、ひきこもりに関しては絶対機能しません。これは強調しておきます。先ほど、はじめにご挨拶をされた方の発言の中に、ひきこもりに関しては、どんなに偉い先生であっても、そんなに専門的知見が蓄積されているわけではないといった趣旨のご発言があったと思うんですけども、本当にそう思います。

いま日本で、ひきこもりに関してお金払って聞くに値するほどの話をもっている先生っていうのは、斎藤環さんとか、そういうもうほんとごく一部の例外を除いて、本当いないと思います。分裂病(統合失調症と名前が変わりました)とか、うつ病とか躁うつ病とかというような、伝統のあるそうした疾患、あるいはお薬の効き目のある疾患についてはいざしらず、ひきこもりというこの問題に関しては、どんなカウンセラーも、どんな有名な権威のある精神科医も、ほとんど素人に近いんだと。そこからやっていかざるを得ないんだという前提でやっていくべきなんだと思います。

そういう状況でですね、ご両親たちが、今日はこっちの先生に頭を下げてお金を払い、今日はこっちの先生に頭を下げ、お金を払い、そうして精神的、経済的にどんどん疲弊していくわけです。あるお母さんは、月にカウンセラー料だけで9万円払ってる。もう、とてもじゃないけどもたない。お母さん自身が、もう顔の表情がひきつってしまって、もうノイローゼなんですね。カウンセリングといっても今民間だったら一時間一万円というのはざらですから…。

そうするとですね、これはぜひみなさんに呼びかけたいんですけども、この「ヒッキーネット」というこの集まりも、そういう趣旨だとぼくは理解してるんですけども、素晴らしいと思ってるんですが、誰かにお金を払ってなんとかしてもらうと――どんなに権威のある精神科医だってそうです。斎藤環さんを含めてそうです――誰かにお金を払って救ってもらうという発想ではなくて、自分たちで「取り組む」という、そういう姿勢を持っていただきたいし、そうすると、私も今日ここで前に立ってお話させていただいてますけども、上下の関係ではなくて、横のネットワークを担っている一個人にすぎない、誰であってもそうである、それは斎藤環さんであってもそうである、と思うんですね。

上下関係でなくて横の関係が大事だ、というこの発想の転換というのは、「今うちの子が大変だ大変だ。やれ先生にお金払ってなんとかしてくれないか」という発想からの…。今の日本にも、世界にも、お金払ったからといってひきこもりの特効薬をくれる先生はいません。スタンダードといえるような対応策は、まだ、手探り状態です。模索中なんですね。  

だから、この「ヒッキーネット」という今回ここで立ち上がったこの集まりもですね、すでにもうパイオニアなんですよ。手をつけた人間がもうすでにそこでパイオニアになってしまうわけですね。「不登校」の話というのは18歳以下です。小・中・高の話というのは1980年くらいから、世間的に日本では取り組みが進んできまして、今現在ではすでに、文部科学省が正式にこれをテーマとして、取り組んでます。ですから在野のネットワークからいっても監督官庁の対応からいっても、かなり態勢は整っているんですけども、18歳以上というのはこれは対応官庁は文部科学省ではなくて、厚生労働省になるわけです。【講演者注・18歳以下でも、児童福祉法に基づいた厚生省(当時)の事業はあった。】

つまり、18歳以下については「教育」の考え方だったんですが、18以上については「労働と医療」の問題になるわけですね。これ、ぜひ頭に入れておいてください。で、これからぜひ厚生労働省のほうにアタックかけたいんですけども、今ほんとうに深刻になっているのは、18歳以上の問題です。もっといえば20歳以上です。するとこれは厚生労働省のところですね。ちょっと小耳にはさんだところによると、去年の5月でしたか、ガイドラインが出まして、来年度から厚生労働省が正式に、ひきこもり問題に取り組む動きがあるみたいです。

今ようやくいろんな形で進んでいますけども、不登校と比べても20年遅れている。10代の問題と比べても20年遅れていると。「不登校」というテーマに関してはもう20年の蓄積があるんですけども、「ひきこもり」に関してはまだ始まったばかりなんですね。「もうワシは20年やっとる」という方もいらっしゃいますけども、やっぱりきちっと社会的に具体案的に始まったのは、ほんとにここ数年だと思います。

6)ひきこもりは一生の問題である

ちょっと具体案的な話になるんですが、今日ここにおいでになった皆さん、それぞれいろんなケースをお持ちだと思うんですが、私はだいたい100例くらいのご相談を聞いてきたんですが(と言っても立ち話も含めてですが)、皆さん私にご相談なさるときに、もう、さも自分の一家の「一番言ってはならない秘密」を言うかのような、そういう話し方をなさるんですね。でも、安心してください。皆さん本当に似通っています。

これは本のなかにも書いたんですけども、皆さんのケース1つ1つというのは、いろんな条件の順列組み合わせでしかないです。たとえば、夫が早く死んでいるとか、祖母に育てられているとか、大学のサークルで同級生にいじめられたとか、そういう条件のいくつかのコマがあって、で、「このケースはそのうちの三条件の組み合わせである」とか。

皆さんほぼ間違いなく、ご自分の生活圏内では孤立しています。親族内でも、近所の付き合いにおいても、「ひきこもり」というテーマについて完全に孤立してますから、もう自分の家にひきこもりの娘・息子がいる、なんていうのは、絶対に口にしちゃいけないとか、秘密にしなくちゃいけないと思われているわけですね。でもそんなことないです。これはぜひお互いに確認してほしいんですが、驚くほどお互い似ています。逆に言うと、どれも特殊例じゃないんですよ。

これは僕自身がそう思っていました。ここまで情けないしょうもないくだらない、どうしようもないみっともないハナシになっているのは自分だけだろうと思ってました。だから、言えないんですね。だから、友達から電話かかってきても切っちゃうんですよ。言えないんですね、恥ずかしさ羞恥心がどんどん、つまり自分ひとりだけが特殊例だという羞恥心がどんどん自分をしりぞけさせてしまう。これは家族もどんどんそうなってしまう。うちの母も私の問題については、世間様に知らしめるなんて冗談じゃない、就職のときに不利になる、というんですね。これは母としては私を心配して言ってくれてるわけです。

時間があまりないんで、断片的になりますけども、ひきこもりにおいて何が問われているか。最初の方で、ひきこもりに二つ大きな要因があると言いました。一つは問いである。もう一つは、ひきこもりというのは政治的に負けてしまった、つまり自分の心と体を守りながら、自分の居場所を見つけていくっていうことに失敗してしまっている人たちだ、と言いました。で、では、ひきこもりにおいて何が問われているのか、というときに、これは答え方のひとつですけども、次のようなことだけは知っておいてほしいと思うんです。

ひきこもりは親にとっては、子どもが経済的に自立した時点で終わるんですよ。ところが、当事者にとっては、ひきこもりというのは、死ぬまで絶対に終わらない「問い」なんですね。これをぜひ理解していただきたい。こんな言い方をするご両親がいるわけですよ、ちょっとひどい言い方になりますけども、「もうとにかくさっさと就職してくれればいいんだ」と。「そしたら厄介払いできるのに」と。「こっちは老後生活楽しみたいのに」という言い方をする人もいるわけです。そういうふうに言うご両親にとって、その息子さん娘さんが抱えている悩みというのは、就職しさえすれば解決するんだ、と思ってるんですね。

でも、そうじゃないんですよ。ひきこもりの方たちの悩みというのは間違いなく、死ぬまで続きます。僕は今いちおう2000年3月から、ひきこもりから抜け出しています。していますけども、相変わらず苦しい。「問い」はまだ終わっていません。で、じゃあ、何が問われているのか。こんだけ苦しいんだけども、あえて何を支えに生きていったらいいのか。もうちょっと言えば、自分の人生のテーマを何にしたらいいんだ、という。

僕はいちおうこの「ひきこもり」というテーマで、いま活動はじめたり、本を出させていただいたりしましたけれども、ひきこもりっていうのは、本人にとっては一生つづく「問い」なんですよ。ですから今日、会場の皆さんの顔ぶれを拝見して、ご両親が多く見受けられますけども、「就職してくれさえすれば終わる。それまでの問題だ」というふうにどうか受け止めないでください。当事者本人にとっては、これから何十年生きていくことになろうが、抱え続ける「問い」なんですね。生きにくいんです。生きづらいんです。人とつながっていくことに苦痛があるわけなんですね。

最後に、ひきこもりの問題における「最大のハードル」というところを申しあげておきたいと思います。ひきこもり、なにが問題か。完全に閉じこもった状態からすればですね、たとえば溜まり場に出てきて、飲み友達ができて、友達とマージャンができる。大進歩ですね。こりゃもう「治った」んじゃないか、そう言えるかもしれません。ですけども、ここまでだったら、かなり成功率はあるんです。ところが、ここからができない。何ができないか。「経済的に自立する」っていうことなんですね。

政治的に負けた人たちだという話の中で、自分の心と体を守りながら社会に居場所を作っていくことができなかった人たちだ、というふうに言いましたけども。経済生活が送れない、つまり、経済生活を送るためには自分の心を犠牲にしなければならないんですね。もうズタボロになってしまう。じゃあ、自分の心を守ろう、自分の感受性を守ろう、とすると、今度は稼ぎが作れないんですよ。溜まり場に出かけていって、飲み友達と一緒にしゃべっている分には楽しいですよ。でも、それは稼ぎにはなっていないですよね。ならないですよね、そりゃ。仕事していないわけですから…。

つまり、コミュニケーションを、僕に最初のきっかけをくれた女性との関係で「肉声」ということを言いましたけども、肉声を使ってのコミュニケーションをするという人間関係を守ろうとすると、稼ぎが作れない。逆に、稼ぎを作るために仕事をしようとすると、自分の肉声、自分の中のやわらかい部分では話ができない。このジレンマなんですね。

経済生活と、自分の心の健康との両立ができないわけです。経済生活を保とうとすると、ココロがずたずたになってしまう。ココロを守ろうとすると、経済生活が駄目になってしまう、稼ぎが作れない。このジレンマが一番決定的で、ここを乗り越えようとするハードルが一番高いんです。ですから、これからネットワークの中で、ヨコのつながりの中で、今日発足したそのネットワークの中で、ぜひ、単に溜まり場ということではなくて、最後のハードルをどう救っていくのかというところですね。今日のお話ではなかなかそこまでできませんでしたけども、えー、地域通貨なんてものも、アイディアとしては持っています。

ぜひ、その最後の、「自分の心と体を守りながら、かつ経済生活も送っていける」、そういう状況をヨコのネットワークの中でどう作っていけるのか、という問いをですね、みなさんと共有できたらな、と思います。今日は長時間ありがとうございました。→続く

(了)

 

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